僕の名前は十兵衛・・11月5日生まれの4番目の息子です・・よろしくねっ。


by fumiyoo
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カテゴリ:青春の日々( 5 )

未来への微笑み・・

宝物はいつも 掌の中
カソルラさんの  
この微笑みは未来の私にむけられている。
この微笑みがあるから もっとやさしくなれるのだ。
の言葉に触発されて私も、ドッコイショと昔の私が笑ってる写真を探してみました。

あの頃はあんなに気持ちが優しくて幸せの中にいたのに、私はいっぱいいっぱい後悔する。
何も怖くなかった・・タダあなたの優しさが怖かった・・
「神田川」時代の写真がひとつ別人の様に笑っています。

もう一枚は息子に囲まれて笑っています。これも別人のようです。
いっぱい、いっぱい愛されて、愛した時代。
私の周りには母も姉もいて、愛されていた。後悔するほど毒ついても愛してくれた。
苦労をまだ知らない時代の写真です。
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 OL時代 会社の慰安旅行先のホテルの部屋で同僚たちと・・20代、別人ですよ。
d0088332_0123819.jpg

 子供が可愛くて最高の時ですね。30代終わりの頃。


  今はかわりはてましたよ~~ん!
  なんでやねん


大切に大切にしないとあっという間に過ぎてゆく
シャボンダマのようにとんでゆく・・
私はあの頃、大切にしただろうか?
ただ、一生懸命生きてきただけのように思う。
大きな忘れ物が もう、見つからないかもしれない忘れ物が「写真の中」にあった。
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by fumiyoo | 2007-09-27 00:18 | 青春の日々

さらば!ハイセイコー

彼と出合ったのは信州の霧が峰
それから数年たったある日、京都に戻ってきた彼と友人宅で仲間達と会う。
ワインを飲んだあくる日は京都競馬所へ・・・考えてみれば初めてのグループデイトであった。
その後、新婚旅行は北海道の牧場めぐりとあいなりました。
当然、ハイセイコー全盛期に知り合った私達は馬を見るための新婚旅行になったのです。
100枚の新婚旅行の写真92枚まではお馬さんの写真ですが今回はお借りしました。
我々が北海道へ馬めぐりしたのは昭和52年・1977年の古い写真は又、別の記事で・・

d0088332_1347558.jpg

http://www21.ocn.ne.jp/~kotatsu/kengaku4.htmより写真お借りしました
写真は昨年(99年)の8月に撮ったものです。ハイセイコーが繋養されている明和牧場は新冠駅からはちょっと離れたところにあります

ハイセイコー
1970年3月6日生
(2000年5月4日死去・享年31歳)

父 チャイナロック 母 ハイユウ
戦績 22戦13勝(うち地方6戦6勝)
主な勝鞍 皐月賞/宝塚記念/弥生賞
スプリングC/NHK杯                 


  さらば ハイセイコー    寺山修二

ふりむくと 一人の少年工が立っている 彼はハイセイコーが勝つたび うれしくて カレーライスを三杯も食べた

ふりむくと 一人の失業者が立っている 彼はハイセイコーの馬券の配当で 病気の妻に 手鏡を買ってやった

ふりむくと 一人の足の悪い車椅子の少女がいる 彼女はハイセイコーを見て 走ることの美しさを知った

ふりむくと 一人の酒場の女が立っている 彼女は五月二十七日のダービーの夜に 男に捨てられた

ふりむくと 一人親不孝な運転手が立っている 彼はハイセイコーの配当で おふくろをハワイへ 連れていってやると言いながら とうとう約束を果たすことができなかった

ふりむくと 一人の人妻が立っている 彼女は夫にかくれて ハイセイコーの馬券を買ったことが たった一度の不貞なのだった

ふりむくと 一人ピアニストが立っている 彼はハイセイコーの生まれた三月六日に 自動車事故にあって 目が見えなくなった

ふりむくと 一人出前持ちが立っている 彼は生まれて初めてもらった月給で ハイセイコーの写真を撮るためにカメラを買った

ふりむくと 大都会の師走の風の中に まだ一度も新聞に名前の出たことのない 百万人のファンが立っている 人生の大レースに 自分の出番を待っている彼らの一番うしろから せめて手を振って別れのあいさつを送ってやろう ハイセイコーよ お前のいなくなった広い師走の競馬場に 希望だけが取り残されて 風に吹かれているのだ

ふりむくと 一人の馬手が立っている 彼は馬小屋のワラを片付けながら 昔 世話したハイセイコーのことを思い出している

ふりむくと 一人の非行少年が立っている 彼は少年院の檻の中で ハイセイコーの強かった日のことを みんなに話してやっている

ふりむくと 一人の四回戦ボーイが立っている 彼は一番強い馬は ハイセイコーだと信じ サンドバッグにその写真を貼って たたきつづけた

ふりむくと ミス・トルコが立っている 彼女はハイセイコーの馬券の配当金で 新しいハンドバッグを買って ハイセイコーとネームを入れた

ふりむくと 一人の老人が立っている 彼はハイセイコーの馬券を買ってはずれ やけ酒を飲んで 終電車の中で眠ってしまった

ふりむくと 一人の受験生が立っている 彼はハイセイコーから 挫折のない人生はないと 教えられた

ふりむくと 一人の騎手が立っている かつてハイセイコーとともにレースに出走し 敗れて暗い日曜日の夜を 家族と口もきかずに過ごした

ふりむくと 一人の新聞売り子が立っている 彼の机のひき出しには ハイセイコーのはずれ馬券が今も入っている

もう誰も振り向く者はないだろう うしろには暗い馬小屋があるだけで そこにはハイセイコーは もういないのだから

ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない 

ハイセイコーがいなくなっても すべてのレースが終わるわけじゃない人生という名の競馬場には 次のレースをまちかまえている百万頭の 名もないハイセイコーの群れが 朝焼けの中で 追い切りをしている地響きが聞こえてくる

思い切ることにしよう ハイセイコーは ただ数枚の馬券にすぎなかった 

ハイセイコーは ただひとレースの思い出にすぎなかった 
ハイセイコーは ただ三年間の連続ドラマにすぎなかった 
ハイセイコーはむなしかったある日々の 代償にすぎなかったのだと

だが忘れようとしても 眼を閉じると あの日のレースが見えてくる 耳をふさぐと あの日の喝采の音が 聞こえてくるのだ
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by fumiyoo | 2007-07-12 13:57 | 青春の日々

会津藩・・・白虎隊!

会津の白虎隊の話テレビでありました。2夜連続で見ました。
薬師丸ひろこが良かった。演技うまいね。

昔の青年は確かに信じるものがあったのか、自刃して果てる悲しさ、潔さ。
母の気持ちは辛いほどわかる。

一途な彼らの生きざまは胸を突いた。今の我々が失っているものがそこにあったように思う。
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by fumiyoo | 2007-01-08 00:56 | 青春の日々

夜が明けたら・・

確かにカルメンマキのデビュー曲でした。
でも私の記憶では浅川マキのを聞いたように覚えていて
それがやけに印象強かったのですが、カルメンマキも浅川マキも同じ歳だし
寺山修二の天井桟敷とも関係があった2人ですし浅川マキさんのコンサートでカルメンマキさんの“かもめ”とファンが間違えるぐらいややこしいかったらしいですね。

私の記憶も疑わしいしね・・少しの間違いはさておき・・

カソルラさんに聞かせてあげたいけれど浅川マキのはパソコンではダウンロードできないし、廃盤になっているアルバムも多いので、私の持っているアルバムはたぶん最初のものだと
思いますがカソルラさんの好きそうなのを紹介してみます。

  夜が明けたら       作詞・作曲  浅川マキ

1.夜が明けたら一番早い汽車に乗るから
  切符を用意してちょうだい
  私のために一枚でいいからさ
  今夜でこの街とはさよならね
  わりといい街だったけどね

2、夜が明けたら一番早い汽車に乗って
  いつかうわさに聞いたあの街へ
  あの街へ行くのよ
  いい人が出来るかもしれないし
  ンーあの街へ行くのよ

3、夜が明けたら一番早い汽車に乗るわ
  みんな私に云うの
  そろそろ落ち着きなってね
  だけどだけども人生は長いじゃない
  そう あの街はきっといいよ

4、夜が明けたら一番早い汽車に乗るから
  切符を用意してちょうだい
  本当本当よお 一枚でいいのよ
  いつだって身軽なあたしじゃない
  そうー乗るのよ

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by fumiyoo | 2006-11-09 00:06 | 青春の日々
ザ・ベストテンセイロベンケイさんの中島みゆきさんのお話からは
跳んでしまうのですが私の我がままな思い出の曲を紹介したくなりました。

このプログでの皆さんとの出会いが無ければ今も押入れの暗闇の中で眠っていたレコードでした。
青春を振り向かず一目散に生き抜いてきました。不器用な私にはそんな風にしか生活を重ねてこれなかった。
たくさんの友人やたくさんの歌や本を置き忘れて私は此処まで来たように思う。

大切なものを思い出させてくれた皆さんに“ありがとう”と言いたい。

1970年 浅川マキの世界・・・私の唯一のマキのレコードです。
独身の時はある時は泣いて聞いた事もあり・・・結婚してからは何故か悲しい時に口ずさんでいました。
今日、何十年かぶりにレコードをかけてみました。背筋がぞくっとして・・・・やっぱり・・・ええわ

      時には母のない子のように
                       作詞 寺山修二  作曲 田中未知

    時には母のない子のように
     だまって海を見つめていたい
    時には母のない子のように
     ひとりで旅にでてみたい
    だけど心はすぐ変わる
    母のない子になったなら
    だれにも愛をはなせない

    時には母のない子のように
     長い手紙を書いてみたい
    時には母のない子のように
     大きな声で叫んでみたい
    だけど心はすぐ変わる 
    母のない子になったら
     誰にも愛を話せない

    時には母のない子のように
・・・


  浅川マキさんが1990年代に結婚され、子供まで授かったと聞きましたがとても以外でたが、結婚後のあの暗闇から抜け出した彼女の歌が聞いてみたくなりました。
   なかなか関西ではコンサートがないのが残念ですが
   きっと、幸福にめぐり合えたのだろうと思うと・・うれしいです。
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by fumiyoo | 2006-11-08 15:01 | 青春の日々