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僕の名前は十兵衛・・11月5日生まれの4番目の息子です・・よろしくねっ。


by fumiyoo
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川柳作家、時実新子『夫婦恋』より。

「小さな机を部屋の片隅をおいて、
裁縫でも読書でも絵描きでもやる。
夫がゴルフへ行こうと、子供が友達と仲良くしようと、
少しも寂しくないと思う自分の世界を作るのだ。」
一人で居れると二人は尚更楽しい・・_d0088332_15173073.jpg

川柳作家 時実新子さん 2007年3月10日肺がんで死去、
78歳  とある

 「太郎を呼べば太郎がくる」
「呼べば呼んだ人が来る。
太郎さんを呼んで、花子さんは来ない。 だから、いいことを呼びなさい」

  太郎は幸福の代名詞なのだそう。 
代表作品「有夫恋」参照。

女性の自立がこんな細やかな出来事で成立するとすれば、社会に出なくても自立は可能。
自立した自分を持つことがふたりで居る事の楽しさも倍増するように思う。自分の机が持ちたくて長年小さな家で苦労した私。
今はパソコンの前で色んな事を思い巡らし「マイ机」を持ち楽しんでいます。

彼のお友達の「あなた」陛〇殿・・・先日は迷惑かけました。
「仕切り直し」を楽しみにしています。
私の机での「楽しみ」であり、私だけの世界なのかもしれません。

又、お会いできる日を楽しみにしています。
存在感のある奥様や可愛いお嬢様にも宜しくお伝え下さい。

たまにはコメント書いてみては?大歓迎!!です。
# by fumiyoo | 2007-05-23 15:30

お救い長屋

“お救い長屋”  お疲れさま
 江戸時代、困窮する市民の為に建てられて「お救い長屋」と呼ばれる住居がある。
お助け小屋、あるいはお救い小屋とも言われる。
そのお救い長屋と伝えられる古い民家が京都市中京区小川通御池上ルにある。
蛤御門の変(1864年)で焼け出された人の為の幕末版「仮設住宅」だ。

民家がお救い小屋だったと結論付ける古文書などはない。
しかし関西大学の浜野潔教授(日本経済史)が下古城町から約二百M南の西堂町の残る
宗門改張を調べたところ、蛤御門の変直後の1865年に「御救借家」と表記された家が九軒あった。
「御」と言う字があることから、公的機関が町人の為に建てたもので、下古城町のお救い長屋も同様と考えられる。
さらに、「今の仮設住宅であり、すぐに取り壊したと思っていたが、長期間の使用に耐えられるような家を建てていたなら、違った見方が出来て面白い」とも言う。

お救い長屋と伝えられる民家は平屋で、屋根の中ほどが盛り上がった「むくり屋根」が特徴的だ。
「昔も仮設住宅があったという事が興味深い」
近く取り壊される予定で、
地元の人は「お救い長屋」の存在を知ってほしいと話す。

お救い長屋_d0088332_210051.jpg

  「お救い長屋」 近く取り壊し 中京、蛤御門の変 被災者“仮設住宅” (14:27)

京都新聞 5月22日夕刊より←を書いてて思い出す「誕生日」やん。私の、元気で現役何よりです。
# by fumiyoo | 2007-05-22 21:01

パッチギを見た!

井筒和幸監督の「パッチギ!」をテレビで見た。
見た・・と言っても途中からになってしまったのがとても残念でした。

花粉症で鼻がグズグズな上に映画で涙が止まらずに・・テッシュ片手に鼻と口を抑えて見ていた。
あの頃・・レオポンで象徴される昭和35,6年頃の臭いが良く出ている。
場所も京都。殴られるシーンは新京極か寺町か。乱闘シーンは出町柳らしい鴨川の三角州辺りらしい(旦那に聞きました)
あの「臭い」や!
思わずのめり込んで見てしまう。
途中でケンカで殴り殺されるパッチギ・・私は直視できずにチャンネルを代えていた。

その後は、泣くわ、鼻水はたれるわ、顔中クチャクチャになりながら、
私達が知らない世界が何と多い事かと思わされる。そして、情けなくて又泣けてくる。
何で、こん風になってしまうん
彼ら、パッチギは何処にぶつけて良いか分からない鬱憤をケンカにもってゆく。
あの頃に生きていた人間はパッチギだけでなく日本の若者もぶつけていた。
学生運動と云うかたちで・・

井筒監督はパッチギと日本の若者のそれぞれの「ぶつかり」をうまくダブらせて時代を描いている。

流れる音楽も「めっちゃナツメロ」に、今はなってしまったあの頃の時代に流行っていた音楽。
同年代の私には懐かしい、体の中に染み込んだ音楽だった。

運命に流されて人は生きていかなくてはならなかった時代を懸命に描いてる人間臭さがたまらなく良かった。

国が違う、感覚が違う、思いが違う、価値観が違う、それぞれ違って当たり前。
そこに人同士の「歩み寄り」さえあれば「言葉」を交わして、ひとつ
又、「言葉」を交わしてひとつ・・・・
「目」をみて、ひとつ・・・づつと少しでも分かり合えないのだろうか?

皆さんは見られましたか?
パッチギを見た!_d0088332_01103.jpg

              イムジン川を合唱するふたり

パッチギを見た!_d0088332_034976.jpg


   悲しくってやりきれない   フォーククルセダーズ

胸にしみる空のかがやき 今日も遠くながめ 涙を流す
悲しくて悲しくて とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを だれかに告げようか

白い雲は流れ流れて 今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて悲しくて とてもやりきれない
この限りないむなしさの 救いはあるだろうか

深い森のみどりにだかれ 今日も風の唄に しみじみ嘆く
悲しくて悲しくて とてもやりきれない
このもえたぎる苦しさは 明日もつづくのか

(作詞:サトウハチロー/作曲:加藤和彦)


   
パッチギを見た!_d0088332_1353275.jpg

リムジン川(韓国の表記ではイムジン川)は漢字で臨津江と書き、北朝鮮に源を発し、韓国と北朝鮮の国境(軍事境界線)に沿って流れ、韓国一の大河である漢江(ハンガン)と合流して黄海に注いでいます。この川をテーマに歌った「イムジン川」という歌があります。


        イムジン川

イムジン川 水清く とうとうと流る
 水鳥 自由に 群がり 飛び交うよ
 我が祖国 南の地 想いははるか
 イムジン川 水清く とうとうと流る

 北の大地から 南の空へ
 飛び行く鳥よ 自由の使者よ
 誰が祖国を 二つに 分けてしまったの
 分けてしまったの

 イムジン川 空遠く 虹よかかっておくれ
 河よ 想いを 伝えておくれ
 ふるさとを いつまでも 忘れはしない
 イムジン川 水清く とうとうと流る




この歌は韓国の歌と思われがちですが、実は原曲は北朝鮮の歌で、作詞はパク セヨン(朴 世永)、作曲はコ ジョンハン(高 宗漢)です。しかしこの曲は韓国ではほとんど知られていないようです。日本では1968年、加藤和彦率いるフォーク クルセーダーズによって録音されましたが、わずか数日間ラジオで流されただけで、発売直前になって発売が中止されました。
現在は発売されています。

この歌をザ フォーク クルセダーズに教えたのは日本語歌詞作詞者の松山 猛氏です。エッセイストの彼がこのイムジン川の存在を知ったのは約40年前です。彼が中学生時代を過ごした京都では、在日コリアンの生徒と日本人の生徒の争いが絶えませんでした。どこで会っても喧嘩、何があっても喧嘩という中で、業を煮やした松山氏は、京都朝鮮中高級学校に乗り込んで入きました。そして、校内で松山氏は偶然、生徒の合唱する「リムジン江」を聴いたのです。「イムジン川」との運命的な出会いでした。


1950年6月25日   朝鮮半島で戦争が始まった日だ。
              今から57年前。
              私達は知っていただろうか?

プログ歩き者を参照させて頂きました。
# by fumiyoo | 2007-05-19 00:02

カソルラさん来店

花粉症とは関係なかった私が、2,3日前から鼻はかゆくて、鼻水は出る。目もかゆくて美人も台無し・・というわけで化粧も出来なくて、大きなマスクをかけて目をしょぼつかせながら冴えない顔で私はmonopoleにいた。

「ふみよさん・・!」お客さんの1人が声をかけた。
「カソルラさん・・!」私は迷わず名前がでた。

「こんにちわ、来ちゃいました」
それから2人はお店でお喋り。。
お昼時は自宅に帰るので一緒に帰って十兵衛の散歩に付き合ってもらい・・
それからお昼を一緒に頂きました。
5時までは家事の為に自宅に帰るので それまでのひと時を散らかった我が自宅で過ごしました。
皆さん、くしゃみしなかったですか?
皆さんの噂話に花が咲いていました。言いたい放題。(フッ・フッ・アハハ)

カソルラさん来店_d0088332_1436383.jpg

  おむかいにカソルラさん。間に1人鍋をはさんで・・
カソルラさん来店_d0088332_14375799.jpg

  カソルラさんは湯豆腐。私は鶏鍋。
  京都風はお上品で育ち盛りの2人には少し足りなくてご飯・「おかわり~~!!」。
カソルラさん来店_d0088332_14422159.jpg

一日早く「母の日」のカーネーショオン・カソルラさんの「おもいやり」。
# by fumiyoo | 2007-05-13 14:36 | 友達

幻のもろこ・・

最近の気温の変化は何なのでしょう?
昨日は31度からあってお昼に十兵衛の散歩に出かけないといけない私にはフラフラになりそうなお天気でしたが今日は打って変わって「サブーいです」3月中旬位の気温だそうで昨日よりは10度は低い。風邪ひかぬように気をつけて・・という言葉がお客さんとの間で交わさる。

お天気も「へんてこりん」だけど、琵琶湖も「へんてこりん」。
琵琶湖本来の“ほんもろこ”が希少価値になってきている。ブラックバスの異常繁殖の為に生態系が「へんてこりん」になってきているのです。

“川魚屋”へ行くと何時も店先にならんでいた“ほんもろこ”でしたが最近はあまり見ない。
京料理屋をしている甥っ子に“ほんもろこ”を頂いた。
「幻のもろこやでぇ・・」と言っていた。
今年は3回しか入荷しなかったとかで、ブラックバスで楽しむ傍らで“ほんもろこ”が絶滅の危機に陥っています。

日本中、そんな状態の事は今や珍しくないぐらいはびこっている。

これらも、“グローバル化”の影響なのだろうか??
幻のもろこ・・_d0088332_14285979.jpg

佃煮になった“もろこ”・・・とても美味しく頂きました。何年ぶりだったろうか?
# by fumiyoo | 2007-05-10 14:30