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僕の名前は十兵衛・・11月5日生まれの4番目の息子です・・よろしくねっ。


by fumiyoo
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Tibet

チベット問題・・知っているようで知らない国。

何も出来ないけれど・・・チベットを見てみよう!中国を見てみよう!文明開花で国が成熟しても、人の愚かな行動は同じなのだろうか?
# by fumiyoo | 2008-04-03 19:10

老夫婦

もう、10年ぐらいは来ていただいてないお豆腐屋さんのおじいさん・・何時も朝方に、「これから休憩や孫が此処のパン買って来いと言うから」とたくさんのパンを買いに来てくれていた。
      


老夫婦_d0088332_15453317.jpg

暇な日はおしゃべりしてから帰った。
おじいさんから聞いた話は・・・息子が事業に失敗して自殺した話。残った孫や嫁さんを面倒見ているという話・・豆腐屋は自分と奥さんでやっていて、卸もしているという話。
美味しそうなので私も買いに行った。
最後のほうに来た時は「孫が嫁さんもらうネン。イロイロ仕度してやらんと・・」と孫にかける思いは人一倍大きかった。死なせてしまった息子への償いなのか、親以上に孫に愛情をもち、気にかけ、面倒もみていた。“そんなに、甘やかしても大丈夫なの?”と思わせるぐらいの愛情の注ぎ方だった。

今日、そのおじいさんが死んだと聞いた。奥さんの痴呆で10年前ぐらいから商売はやめていたらしい・・・看病疲れなのか、詳細は分からないが、奥さんを刺して、自分も刺して夫婦で亡くなったらしい・・心中なのだろうか・・

話を聞くと、数年前に2人いたお孫さんの一人も自殺していると言う。
私の記憶が正しければ、結婚すると喜んでいたお孫さんはもう、四十は過ぎていると思う。
お爺さんは87歳だったと聞く。おばあさんは79歳。老々看護だったのだろう。

私の記憶では猟友会で活躍していた頃のおじいさんしか記憶にない。
何時も大きな声で話し、バイタリテーあふれる大柄のおじいさんであった。

話を聞かせてくれた近所のおばさんが「こんな時、近所で助け合いが出来んもんやったんやろうかね」と言った。

社会が、“助け合う”という事に不慣れである。国が“助け合う”事にいたって消極的である。

我々の世代は高校受験で失敗して自殺した人もいた、競争のなかで此処まで生きてきたように思う。サバイバルは若い時代で終わったと思っていたが、今のこのご時勢はある意味サバイバルである。「生き抜く」為に・・「生き抜いてる」だけで十分な時代になった。

おじいさんは誰にも世話になりたくなかったんだろう・・恥を由とは思わない世代だから。
でも、世話をかけるべく身内がいなくても行政が如何にか出来なかったんだろうか?

寂しい時代がやってきました。
# by fumiyoo | 2008-04-02 15:50

桜と散歩・・・

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桜はまだかいーなぁ~~♪と思いながらいつもの十兵衛との散歩道。我が家から松尾・嵐山への土手沿いの桜・・まだまだ、チラホラですが咲いていた桜もありました。この違いは品種の違いなのか?と思いながら歩くと、十兵衛の友達の“ぎん”に出会いました。銀は十兵衛を見つけると何時も伏せをして待っています。出会うなり、「愛の抱擁??」です。もつれて遊んで疲れて別れるのが出合った時の挨拶です。
銀は25K.十兵衛は半分もないのでこの所、圧されぎみで銀の勢いに圧倒されながらも喜んでいます053.gif
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春の訪れのもとに、他愛なく遊ぶ銀と十兵衛。
十兵衛には友達がたくさんいます。
 シーズの“クーちゃん”。父親の名前がキーなので「かきくけこのクーちゃんになったそうです。この子はシラッとしてますが、十兵衛が一方的に気にしてます。十兵衛よりズート大人なのです。
 アーフェン・ピンシャー(?)の栗ちゃん。この子は何時もお父さんが散歩に来ますが、娘さんが髪の毛が栗色だから“栗”という名前になっそうです。この子は十兵衛よりも年下なので十兵衛を見るなり喜んで遊びたがります。一応の挨拶をして引き上げないとナカナカ散歩が終わりません。
 セパードの“プ~ちゃん”熊のプ~さんが好きな娘さんがつけた名前だとかでセパードなのに凄みもなくて、やさしいプ-ちゃんにはぴったりの名前035.gif。プーちゃんと十兵衛は“銀”を巡っての三角関係・・・・女の子の銀に男の子のプーがジャレているのを見ると十兵衛は珍しく吼えました。「こらっ、どけっ、僕の友達なんだ・・・」とプーに向かって吼えます031.gif。銀が「何言ってるの~」と十兵衛の耳を噛んできても知らん顔でプーに向かって吼え続けます。これは“やきもち”以外の何物でもありません。私達にも伝わる十兵衛の気持ち・・・誰にでもじゃれる銀に十兵衛は、女の子の浮気心を見たのか~それでも銀にジャレているプーにだけ、吼え続けます。
 ミニチュア・シュナイダーのドーリー。男の子なのにドーリーという名前は老夫婦が娘のように可愛がっていて、会うたびに着ている服がオシャレです。毎日、お風呂に入るとかで、少し神経質で、過保護のドーリーは少し離れて十兵衛を見ていて、少しづつ近づくのですがお散歩相手のおじさんが十兵衛をかまうとやきもちなのか、十兵衛に吼えます。だからこの子とは一定の距離をおいての「ご挨拶」止まりになります。
        
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 会えば吼えまくる、出来の悪い柴犬もいて、飼い主は「如何したの?嫌いなの?嫌あねぁ~」と言います。“あんたがそんなんだから、誰とも友達になれないんだよん”と心の中でつぶやきながら、知らん顔して通り過ぎます。
 相性の良い子や最初から友達になれそうにない子・・・色んなワンちゃんが人間を連れて散歩している桂川の土手。一昔よりもこんな光景が増えました。高齢化の為か・・・少子化の為か・・・人々の人間関係の希薄さからか・・・ワンちゃんは家族の一員になって人間どもを散歩に連れて行ってくてます。ヤレッ・ヤレッ疲れるんだよね~~と言いながら042.gif

追伸・・・銀の名前は漫画の「銀牙伝説」WEEDから、とった名前。次男が好きな本でコレを9歳の頃読んでいて柴犬がほしいと言い、ゲン(初代柴犬)と出会うきっかけになり、今の十兵衛がいます。だから銀とは少なからずの縁を私も感じているのです。
 
# by fumiyoo | 2008-03-31 10:17 | 十兵衛

高校野球とモノポール

高速道路の旅
昭和60年阪神タイガースが21年振りに優勝したその歳の4月27日(?)にモノポールはオープンしました。開店以来、目が回る忙しさでその頃は、忙しい日は1日に400人位の来店客がありました。そんな忙しいときに阪神が優勝試合をするもんだから、旦那はお店でパンを焼く合間を見ては二階の居間のテレビが気になってしかたありません・・・「打ったか?守ったか?いけるか?・・・勝ったか?」と忙しくお店の外にあるラセン階段を上っては降りて、降りては上りを繰り返しておりました。そんな懐かしい開店から今年で24年がたとうとしております。
今は、高校野球が始まれば旦那は母校平安高校をラジオの外側から応援しながらパンの製造に精を出しています。
 先日、「神奈川から来たんです・・・お店の写真撮って良いですか?」と2人の男の子を連れた御夫婦がお店に来られました。「わざわざ、モノポールへ?ですか?何処か来られたついでですね」と私は尋ねましたが、何やら笑われて、はっきりしません。まさかモノポールが有名(?)になったとはいえ、神奈川までは名前が届いていないだろう・・・??おかしいなぁ・・誰だろう?ひょっとして何かの本で、読まれたのか?とも思いながら、少しくたびれかけたモノポールの写真を撮りたいとおっしゃる・・・正体が分からないまま時間が過ぎていきました。
 彼らが帰った後で旦那が「テントの穴が気になるなぁ~~写真撮られたら写ってるで~来年、修理しようか?」と言い出しましたが「予算が・・・」よってまずは旦那が手仕事で直せる範囲はやってみようと思いました。
 去年からの小麦粉の値上げ、油の値上げで、パンに関わる材料は全てと言って良いくらい値上げになりました。そして、又4月から30パーセントの小麦粉の値上げです。それらの値上げを冷静に見ている旦那は「今は値上げは出来ん。我慢できるだけしてみよう・・」と我がモノポールは20年位此の方、値上げをしておりません。ホームページには少し高めに値段を書いていますが、お店はもっと安いのです、クロワッサンが53円なんて・・・信じられなーいとお客さんは言います。
 そんなこんなで、「やさしいパン屋さん」なのかもしれません。
ついでとはいえ、途中でインターを降りてのご来店でした。神奈川からのお客様。
「おいしい」と言って頂けただけで又、頑張ろうと思います。

有難うございます。何時でも宅配でお送りしますのでご注文宜しくお願いします・・ヘッヘッ(笑)

  
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# by fumiyoo | 2008-03-29 14:55 | モノポールの話

私とスニーカー

〇〇の頃
 今でも、履いてるスニーカー。
若い頃は、生き方の自己主張でもあったGパンとスニーカー。
新婚旅行もGパンとスニーカーで出かけた。(昭和52年頃は珍しかったですヨン)
「スーツなんか着てきたら、新婚旅行なんか行かへんぞ!」旦那の言い切った物言いに私は何の抵抗感もなくて、「そおーやなぁ~」と思ったものでした。

子供が出来て、公園で遊ぶとき、家ノ前で旦那とキャッチボールする時、スニーカーは何時も一緒でした。
親戚のお付き合い、冠婚葬祭以外は殆どがスニーカー暮らし・・・
お店をして、スニーカーは仕事には欠かせない相棒になっていきました。
夫婦揃ってスニーカー。
昔のようにおしゃれなスニーカーは選べなくなり、何時も経済的なものを選ぶようになっていった。
それでも私は穴があくまで相棒と一緒です。
10ヶ月もたつと、もう一人の相棒を探しに靴屋さんへ・・

そんなサイクルの中に私のスニーカーはある。

幾つになってもあなたと一緒・・・
たまに、浮気もするけれどねっ。
何時もあなたのところに帰ってくる私。

  
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# by fumiyoo | 2008-03-28 15:26